心の食べ物
日本橋の本町通り。関西商人の店が目立つ中に構えている夜神屋は、細々と続けている関東の商人仲間とは一線引いて、今年の収益も右上がりを約束されていた。珍し物好きの主人の趣味が当たったか、それとも逸早く関西の商法を学んだ事が幸いしたか。何にせよ、今の月(らいと)にとって収益云々はどうでも良かったが。
「目当ては蕎麦か、それともクジラか?」
月は床を掃く手を止め、ごった返す店内に顔を出した男をじろりとねめつけた。
今日は十二月十三日、つまり煤払いの日だ。一年で溜まった汚れを落とす大変かつ大事な日であるから、当然部外者に構っている暇などない。終わった後の宴会も身内で済ますのが通例だ。
けれど不運な事に、着流しに袖を通した粋な男は夜神屋常連客の竜崎であった。酒瓶を片手に提げ、こんな真っ昼間から呑んできたのか、土気色の顔にほんのりと朱が差している。
「これはこれは、とび色小袖が似合う別嬪さんがいると思ったら、跡取り息子の月さんでしたか。わざわざ出迎えて下さるとは、寒い道を来た甲斐があるってもんです。」
しっかりとした足取りは酔いを感じさせないが、竜崎が月との距離を縮めてくると、酒の臭いがぷうんと漂った。
月は鼻を摘んで後退しながら、どうしてこいつが常連客なのだろう、と店の奥で奉公人達に指示を出している父を恨めしい瞳で流し見る。竜崎の目当ては、月の父が集めた買い手がなさそうなのに何故か売れていく珍品なのだ。月からしてみれば、金を持て余している上に使い道が分からない連中の気まぐれにしか思えない。
それでも、竜崎は他の珍客らとは違うように思われた。髪は伸ばしっぱなしであるし、着物も同じ物しか見た事がない。その日暮をしていると見えても仕方がないだろう。
(そりゃ、確かにキセルをふかしてる姿はさまになってるけど・・・。)
竜崎の腰に差したキセルを見やり、溜め息をつく。柱にもたれ掛かって向かいの男へ一瞥くれると、薄っすらと笑われる気配にそっぽを向いた。
「別に、僕はお前を出迎えたつもりはないよ。」
常連であるから、という事以上に、月には竜崎を邪険にできない理由があった。夜神屋は、竜崎の書く本に宣伝文を載せてもらっているのだ。
父に言われて何度かその本を手に取った月は、珍品の宣伝と関係あるのか否か、本の内容が妙な伝説だとか妖怪や幽霊といった類のものであるのを知った。もちろん、竜崎には内緒で。読みながら、子供騙しだと心の中で悪態をつく事もしばしば。ところが、世間の評価は月の酷評に反していて、怖いものより愉快な話が多数を占めた本は、殊更小さな子供達に人気らしい。この事実、店としては助かっているものの、どうにも月は素直に喜べない。
文才の他にも、竜崎は医療に相当の知識を誇っていたが、全ての治療は無償であったから、定職としているものをあげると結局の所物書きに落ち着くのだ。
(果たして、物書きだけで食べていけるものだろうか。)
会う度に問いただしたい気持ちは沸き起こるが、無粋な詮索はすまいと目線を下へやる。すると、酒の匂いが近づいて目前が急に陰った。伏せていた目蓋を起こすと、酒瓶をかざしている竜崎と目が合う。
「クジラの刺身を肴に一献、傾けませんか?下り酒ですから味は裏切りませんよ。」
「やっぱりそれが狙いか。」
月は欲望に忠実な男へ苦笑した。竜崎が返したのは満面の笑みではないものの、どことなく憎めない顔をしている。
さてどうしたものか、と月が逡巡していると、戸口から冷たい風と共にはらりと白い花びらのようなものが舞った。咄嗟に差し出した手の平へ降りてきた、花びらより軽くて冷たいそれは、人肌の温かさにあっけなく水滴へと変わる。温くなったそれを握りつぶし、月は白い息を吐いた。
「寒いと思ったら・・・珍しいな。」
袖口同士を合わせ、寒さに身を縮めて表を見る。小さな塊だった雪は徐々に質量を増して、綿を丸めたみたいになっていた。それも最初はちらちらと降っていただけだったが、すぐに向かいの店が見難くなってくる。今夜は一段と冷え込みそうだ。
「煤払いが終わったら付き合わせてもらうよ。」
向き直った月が袖口を合わせたまま背を向ける。
「そうこなくては。」
竜崎がその背に続いた。
その夜、月は夢を見ていた。たまに見る、これが夢であると自覚している夢だ。
それもそのはず、寝床に入ったときは凍えるようであったにも関わらず、ここは暑い位で、着物の上からも肌を焦がさんばかりの陽光が生々しい。そこでは月の隣に竜崎がいる。竜崎は、水売りから買った砂糖と白玉のたっぷり入った水を満足そうに見つめ、月にも勧めてきた。
『先に無礼を働いたのはこちらですから、ここは私もちという事で。』
『いいえ、竜崎さん。困りますっ。』
『まあまあ、そう硬くならず。竜崎と呼び捨ててくれて結構ですよ。』
(もう、かれこれ半年になるか。あの頃も今も、竜崎は隙あらば僕に触れてきていたっけ。)
初めて会った時、店番していた月は必要以上に触れられ、夏の暑さもあいまって沸点へ達するにはたいした時間を要せず。客だと気付いて気まずくなるも、逆に竜崎に詫びられてしまったのだった。
『水売りがこの店の前を通るんですよ。』
頭を掻きながら漏らした竜崎の言葉や仕草を今でも覚えている。襟足から覗く、長く伸びた首がしっとりと汗ばんで赤みがかっていた。酒が入っていたのか、相当暑かったのか。
パチッ。
何かがはぜる音で月の思考は途切れた。薄目を開くとすぐそこに火鉢が見える。道理で汗を掻いてしまう訳だ。
(いやそうでなくて、どうして火鉢が?)
つけた覚えがないので不信に思って見上げると、火の灯った油の小皿が机の端に置かれており、竜崎が突っ伏すようにして筆を走らせていた。月は墨の臭いが鼻について眉を寄せるも、暑さにのぼせて潤む瞳の辺りがずっしりと重たくなっていくのを感じる。夢の中でまで、美味しくてつい呑み過ぎた酒が残っているのかと思うと可笑しくなった。
(沢山書いて、沢山売らないといけないものな。)
はっきりとしない頭でそんな事を考え、月が再び目を開けると薄闇の中に浮かび上がる竜崎の背中。緩やかな丘が時折上下に動き、着物の上に乗っかって見える黒髪も僅かに動く。闇よりも暗い漆黒の髪が火の揺れに合わせて艶やかに光る美しさは妖しくもあり、一種不気味でもあった。
「烏。」
呟きは思いの他、よく響く。竜崎がゆっくりと振り向き、畳に手を付いて顔を覗き込んできた。
「寝てるんですか?」
声はすぐそこから聞こえ、まるで現のように鼓膜を揺さぶる低音に聞き入る。返事は当然適当になってしまい、頷くだけとなった。
「起きているじゃあないですか。」
「・・・・・いや、夢を見てる。」
「なるほど。」
髪よりもさらに黒い竜崎の双眸が細められる。微笑んでいるような、呆れているような表情の判別が付く前に顔が迫ってきたので、月は自然と目を閉じた。
年末の掛集めの時期になると、夜神屋の忙しさは半端でなくなった。何もこれは夜神屋に限った事ではない。現金商法の越後屋はともかく、原則として掛売りの大店は年に数回客の家に赴いて集金しなければならなかった。けれど、その中でも特に年末の掛集めは大掛かりで、二、三日はかかる。元旦の夜五ツ(午後8時頃)からは、長引くと翌日の明け方まで集金後の新たな帳面作成に全力を注ぐ事になるから、精も根も尽き果てるというものだ。
怒涛の三日間最初の日、月はとび色の小袖の上に若草色の羽織を着て、そろばんを腰に提げた格好で掛集めに出かけていた。月の父が心配して手代をつけさせようとするのを聞く耳持たずに店を出てきているので、多少歩みは速くなる。
とはいっても、無意味に先を急ぐ月の頭を占めているのは過保護な父の事ではなく、煤払いの日以来とんと姿を見せなくなった竜崎の事だった。
(竜崎、二十五日の餅つきにも来なかった。)
酒と煙草は心の食べ物だが、お菓子と餅も捨てがたい。そう竜崎が言っていたのをしかと聞いていた月は、二十五日も図々しく来るものだと思っていた。
(・・・どうせ忙しくてあいつの相手をしてる暇なんてないけど!)
煤払いの翌朝の事を月はまだ引きずっているのだ。あの朝部屋に竜崎の姿はなかったが、まだ熱を持っている火鉢が残っていたので、夢だと思っていた事は全て夢でなかった事になる。だが仮にあれが現としても、月が覚えているのは何となく竜崎と凄い事をしてしまったような、そうでないような、といったあまりにも曖昧な記憶。
頭の中は整理がつかず、同時に何故だか腹がむかついてきて、さらに歩みを速める。この分なら、今日中にでも月の集金分は終わりそうだった。
ところが、それから数件回った所で月は誰かが後ろからついてきている事に気が付く。さり気なく後ろを見て、竜崎でない事だけは確認した。相手は付かず離れずの微妙な距離を保っているので、男なのが分かった位で顔やこれといった特徴は掴めない。
(なんだろう?取敢えず、暗くなる前に帰った方が良さそうだな。)
すでに傾き始めた日を見上げ、月は駆け出した。このまま男をまいて、店へ無事に戻る事ができれば良い。だが、不吉な予感が心臓へ嫌な締め付けをもたらす。
(あ、ついてくる!)
男は慌てた様子で追いかけてきた。それを見て、月も急ぐ。待ち伏せて返り討ちにするつもりで角を曲がった。
が、甘かった。月をつけていたのは一人ではなかったらしい。角の向こうには月より遥かに身の丈のある、がたいの良い大男が待ち伏せていた。男の太い筋肉質の腕で後ろ手に腕をひね上げられ、身動きの取れなくなった所へ後ろの男がやってくる。こちらは幾分か小柄だが、最悪の状態には変わりなかった。
「何が目的だ!?」
前後の男へ声を荒げる。二人は月が抵抗できないと分かってか、互いに目配せすると、意外にもすんなりと大男が口を割った。
「お前んとこの親父が上方商人の真似事をしているのが気に食わねえ。」
一瞬、言っている意味が分からず、月は眉根を寄せる。
その態度に苛立った小柄な男が、腰に提げていたそろばんで月の頬を張った。
「ちっ、ただでさえあいつらの所為で俺達の売り上げが伸びねえんだ。その上、夜神屋は汚ねえ手で儲けやがるから、こちとら商売上がったりだ。」
「なっ!」
単なる言いがかりに過ぎない事を言い返そうとすると、大男の腕の力が強まり、月は頬の痛みとは比べ物にならない痛みが腕を襲い、呻き声を上げる。脂汗の浮いた顔へ大男が下卑た表情を浮かべた顔を寄せてきた。
「跡取り息子が痛い目にあったってえ事になると、少しは大人しくなるんじゃねえか?」
痛みに耐えるだけで精一杯の月には言い返す気力もなく、唇を噛み締めて頭を垂れる。
(くそっ、こんな奴等に・・・!)
いいようにされている自分が不甲斐なく、あまりにも悔しくて目尻に涙が浮んだ、その時。
「汚い手という言い方はないと思いますよ。立派な商法です。」
夕日を背に、長い影を従えた竜崎が脇道から出てきた。
突然の事に男達が月を地面に突き飛ばして身構えていると、竜崎はふっと笑みを浮かべる。人好きしそうなあの面影はどこにもなく、凍てつく冬の氷柱を思わせる冷たくて鋭い面差しであった。
「だいたい、恨む相手を間違えています。忌むべきは商才のない主と、良い主を見抜けられないあなた方自身でしょう?」
普段の竜崎からは考えられない挑発的な言葉。それが不思議と声に馴染んでいる。
月は壁に手をついて立ち上がり、竜崎の言葉を聞いた男達の顔が怒りで真っ赤に染まっていくのをはっきりと目に映した。それなのに飛び掛らないのは多分、理性ではなく本能が危険を察知しているからだろう。
月の方へ振り向いた竜崎の顔にはもう笑みはなかった。まっすぐに伸ばした片手を詫びるように顔の前に立て、頭を下げてくる。
「月さん。ここで見た事は他言無用でお願いします。それと、私がキセルを咥えたら、一寸の間だけ息を止めておいて下さい。」
「え?・・・あ、ああ。」
訳の分からない事を言われて一瞬呆けるが、竜崎の瞳が光を放ち、有無を言わせぬ色を含んでいる事を感じ取った月は、頷いて竜崎の動向の一部始終を逃すまいと目を凝らした。
「殺しは後が面倒なので、生かして帰して差し上げます。」
飄々とした声で大事を言ってのけた竜崎は、腰のキセルを手に取り、煙草を吸うのと同じように咥えた。その動作一つにも重みがあり、空気が張り詰める音がしそうな程の緊張感がその場を支配する。
月は自分の知らない竜崎の恐ろしい一面を目の当たりにした気分になり、目は釘付けとなった。竜崎に言われた事も忘れて呆然としていると、黒い双眸が月に早くするよう訴えてきて。月はようやく大きく息を吸い、言われた通りにぴたりと止めた。
「な、なんだ!やるのか!?」
竜崎の周りに立ち込める威圧的な空気に気圧された大男が、顔を強張らせながら果敢にも吠える。小男の方は完全に参ってしまって、口をへの字に食いしばり、いつ逃げ出そうかと機会を探るように忙しなく目玉を動かしていた。
竜崎はそんな男達を冷ややかな視線で射抜く。そうして、口からキセルを離さずに軽く息を吸い、長くゆっくりと息を吹き込んだ。
煙草の葉を入れておく、先っぽの丸みを帯びた部分から現れた紫煙がすうっと尾を引いて、及び腰の二人へとその半透明の体をくねらせながら迫る。生きてでもいるかのような動きに、竜崎以外の三人は息を呑んだ。
煙は確かな目的を持って動き、男達の鼻から中へ入っていく。全て収まったのを満足気に見つめた竜崎は、今度は長くゆっくり息を吸い込み、男達の口から出てきた煙をキセルの先に溜めて、一息に吸い上げてしまった。
「あなた達、どうも心の食べ物が不足しているみたいですね。」
言葉を発するよりも早く男達は地面に伏し、声は届いていないようである。竜崎は苦虫を潰したような顔をして口元を拭い、大仰に深い息を吐いた。
「し、死んでる?」
月はぴくりとも動かない男達に視線を送り、恐々と竜崎に尋ねる。酷い仕打ちを受けたが、何も殺す事はないのではないかと思ったのだ。しかも人の仕業とは思えぬやり方で。
「いいえ。先程も言ったでしょう、殺しは面倒だと。少し魂を抜いただけです。じきに意識は戻りますよ。それに、これでもう、変な気は起こさないでしょう。」
心配をよそに竜崎は何でもない事のようにさらっと言葉を紡ぎ、あなたが無事で良かった、と安堵の息を漏らしている。
助けてもらった礼を言うのも忘れ、月は隣の竜崎をまじまじと見つめた。
「お前・・・いったい何者なんだ?」
月はいくつもの仮定を立てるが、どれも馬鹿らしくて誰かに話そうなどという気にはなれない。竜崎もそれを分かっているのか、微笑んだだけだった。
「元は修験の道を歩んでいた者、とでも言っておきましょうか。」
あの後、掛集めを竜崎に手伝ってもらって一応全てを終えた月は、店に戻るなり土まみれの着物や顔の傷、腫れた腕に驚いた父が休むようにとせっつくので、床の間で横になり暇を持て余していた。
(たいした事ないんだけどなあ。)
本当に大変なのはこれから帳簿を作る作業なのだ。跡取り息子がこんな事をしていては示しが付かないのではないだろうか。寝返りをうって自分以上に心配性の父を思い、苦笑いしていると、寝床の襖が開いた。
「月君、体の調子はどう?」
近所の松田屋の松田が見舞い品を抱えて入ってくる。松田は大店の主人であるが、昔は月の父が世話をしていたらしく、今でも店同士で良い付き合いをしている間柄だ。
「本当にたいした事ないのでお構いなく・・・あれ?それってもしかして?」
松田が重たそうに畳へ降ろした見舞い品を見て、月は瞬きする。
「ああ、これ?竜崎先生に頼んで珍品を集めていたんだけど。月君知ってるの?」
知っているも何も、松田が持ってきた見舞い品、右から見ると狸に見えて左から見ると狐に見える、要するに何がなんだか分からない木彫りの置物は、夜神屋で売っていたものだ。
顎に手を沿え、首を傾げる月を気にも留めず、松田は巡ってまた戻ってきた品を置いてさっさと退散してしまう。
横になったまま月がまだ考え込んでいると、表とは別の襖がかたりと鳴って、そちらへ体を向けた。黙って見つめる事幾ばくか。すーっと静かに襖が横へ滑り、現れたのは思った通り竜崎だった。
「こんなに寒くちゃ、水売りも来ないけど?」
「言いっこなしですよ。あなたこそ、私の本を読んでいるそうじゃないですか。」
お互い目を合わせ、どちらからともなく笑い合う。
今度は店で偶然会うのではなく、外で会う約束をしても良いかもしれない。そんな事を思いながら、月は竜崎を手招くのだった。
おわり
聡秋良さまのサイトで横取りキリリクして来ました!
銭形平次のテーマがLにピッタリだったので「デスノ時代劇」をリクエスト(笑)
「とにかく男前なLでお願いします!」とか思いっきり我が儘な注文をして、申し訳有りませんでした〜。
お話の中ではっきりとL(竜崎)の正体が書かれてませんが、天狗だそうです。キセルかっこいいv 月の若旦那っぷりも可愛いv 続きが読みたくなる素敵なお話しです。聡秋良さま、ありがとうございました!
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